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斜訳 源平盛衰記 巻第十九
文覺発心事

無料公開

はじめに

 芥川龍之介が『袈裟と盛遠』と題して執筆した小説作品の存在はよく世に知られているようで、インターネットによる検索等でも、同書に関連したウェブサイトの上位ヒット件数は比較的少なくない。


 しかしながら、その題材となった原作についてはほとんど顧みられてはいないようで、検索を試みるも遂にオープンソースの現代語訳や解説にたどり着くことは果たせなかった。


 その際、国立国会図書館のデジタルコレクションに、漢字仮名交じり文表記で出版された明治期の文献で公開されているもの(著作権法第67条第1項の裁定による)を見付けたのであるが、芥川作品が無料で読めるのに対し、その原作が気軽に無料で閲覧できないのは如何なものかと思案し、また古典の現代語翻訳に対する一定の需要とそれに対応し切れていないネット上の翻訳システム(外国語翻訳は幾らでもあるのに、日本語たる古語の無料ブラウザ翻訳が存在しない)現状への忸怩たる思いから、ここに拙いながらも斜訳をこころみ、世に公開し、純粋に日本の古典を味わう乃至は芥川作品『袈裟と盛遠』との比較の一助となされんことを企図する。

 然るに、筆者は古典文学を専門(専攻)とするに非ず、その訳は甚だ心許ない。よって、その訳出物を「斜訳」と称する。

(訳の正確性について筆者は一切その責めを負わない。)

凡例


   凡例
φ斜訳のために参照した底本は、石川核『源平盛衰記 上』明治四十四年/有朋堂の緒言及び六二九―六四〇頁【国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/877508)―3コマ及び322―329コマ】である。
φ漢字表記については原則「常用漢字」に変更した。但し人名や地名に関してはその限りではない。
φ専門・特殊用語は原語と併記したものもある。
φ古語については忠実な機械的翻訳に徹することを避け、雰囲気とリズム、わかりやすさの重視から、本意を損なわぬ程度に、原文や文法や基本的な意味を無視して意訳(アレンジ)したり、原文にない表現を附属して臨場感を高めた箇所もある。
φ( )や【 】内の表記は翻訳者による補足である。
φ訳出対象は袈裟と盛遠に関する主軸の部分のみとし、『盛衰記』の作者による補足・解説的な箇所は極力省いた。(例:末尾の東帰節女の故事など)

   緒言(前書き)
 源平盛衰記全四十八巻は、二條天皇の御(み)代(よ)(時代)である応保年間(一一六一)より安徳天皇の御代である寿永年間(一一八二)に至るまでの二十年間を主軸として、源氏と平氏両方の、活躍から滅亡に至る出来事を記したものである。作者は葉室時長とする説があるが、確証はない。
 この本に書かれた内容は『平家物語』と似ているけれども、その記述は『平家』よりも詳しく書かれている。学者の多くはこの『源平盛衰記』について『平家物語』を修正しながら書き写したものと言っている。(後略)
 石川 核

『文覺さんが出家して僧侶になったこと』

   一

 文覺(もんがく)(文覚)さんがなぜ仏教を深く信じ、出家して僧侶になるというような気持になったのかと言えば、それは女性が原因でした。


 文覺さんには父方の親戚のおばさんが一人いました。事情があって奥(おう)州(陸奥国=東北の太平洋沿いの地域を指す)の衣川(ころもがわ)というところに住んでいましたが、やがて故郷の都に帰ってきたので、家族や親戚の人達はこのおばさんのことを衣川さんと呼びました。


 衣川さんが若くて元気な頃は、誰よりもきれいな人だと言われ、気だても優しい人でしたが、今は年を取り、夫に先立たれた未亡人として、寂しく暮らしていました。
 衣川さんには娘が一人いて、「あとま」という名前でしたが、「衣川」の娘なので、よく「袈(け)裟(さ)ちゃん」と呼ばれました。【*袈裟とは僧侶が衣の上にまとう布のことで、衣と袈裟という服装つながりの洒落の意味と、実は彼女が仏教と浅からぬ縁があったということの二重の意味になっています】


 袈裟さんは親に似て、黒々とした美しい眉と、丹花(たんか)(赤い花)のような口が愛くるしく、雪のような肌に桃のようなお化粧をして、芙(ふ)蓉(よう)(蓮の華)のようなまなじりには気品があって、緑のかんざし(髪飾り)をつけていましたが、男に愛されるのを利用してぜいたくな暮らしをする外国の皇帝の妃(きさき)などとは違って、愛敬はあっても媚(こ)びへつらったりせず、厳しくあたることの多い女房(武家や貴族の女性)に対しても思いやり深く、物事をあわれみ、悪い事はするのも見るのもすごく恐がりました。


 だからギリシアの女神アテナの生まれ変わりか、それとも本当は人ではなくて観世音菩(ぼ)薩(さつ)や勢(せい)至(し)菩薩じゃなかろうかと思われて【*観世音と勢至はアミダの左右に設置される菩薩で、文覚の最初の出家名とも関連するが、要はここでいう仏教への信仰とは浄土系のアミダ信仰であることを暗示している】、大事に育てられ、十四才の成人を迎えました。【*時代や地域により多少の差はありますがだいたい十四才くらいで大人と見做すのが日本の伝統でした】


 そんな袈裟さんの評判を聞いたり見たりした男達が、次から次へと密かに恋文を送りました。しかしその中の一人、「ならび」という里に住む源氏の一族である渡(わたる)は、恥ずかしくないぞと言って、恋文を出したことを公表しました。
 すると、家族にも知らせるくらい本気なんだ、という気持が通じて付き合うことになり、数年が経ちました。
 袈裟さんは今年十六才になりました。


   二

 ところで、盛遠(もりとお)くんという十七才の男子がいました。その年の三月中旬に、自分が管轄する渡邊(わたなべ)(渡辺)という地区で、橋に感謝する宗教的な儀式「橋供養」があった際に、盛遠くんは薄い紺色の生地に濃い紺色の模様を重ねた「紺村濃(こんむらご)」の直(ひた)垂(たれ)(武士の服)を着て、黒糸を使った縅(おどし)(鎧の一部で、板をつなぎ合わせたパーツ)の腹巻き(上半身の防具)に、袖(そで)(腕の防具)を付けて、折(おり)烏(え)帽(ぼ)子(し)(あごで結ぶ帽子で折って短くしてあるもの)をかぶり、白銀の蛭(ひる)巻(まき)(柄の部分を斜めに間隔を開けて巻くこと。装飾と滑り止めの意味がある)を二筋巻いた薙(なぎ)刀(なた)(先端が刀のように反り返っているヤリ)を左の脇にはさんで、その日のお役目として、交差点を警固する兵士らに橋の方へ廻るよう命令をだし、彼等を従えて橋の上にずらりと整列していたので勇ましくてかっこよかった。


 供養が終わってみなが都から帰っていく中、北の橋のたもとから東へ三間(げん)【*一(いつ)間(けん)は柱と柱の間の長さ。ここでは橋脚三本分】離れた所にある、他よりも一段高い上等な席(桟(さ)敷(じき))の角より、女房たちも大勢出てきて帰っていくのが見られた。その中に十六七くらいの女房が、輿(二本の棒の上にカゴを載せた乗り物。前後から担いで運ぶ)に乗ろうとしてすだれを挙げたところをふと見れば、めったにお目にかかれないほどの美しい娘である。盛遠くんは目がくらんで魂を奪われ、何者だろうか、どんな人の妻だろうかと、行き先を知りたくなって輿のあとをつけていくと、「ならび」の里の源(みなもと)左衛門尉(さえもんのじょう)渡【*左衛門尉は役職名】という人の家に入っていくのを見届けた。


 あれが噂に聞く衣川の女房の娘か。まったく欠点のない美人だなあ、と思い焦がれつつも、この状況をどうすべきかと、春の終りから秋の半ばまで、寝ても覚めてもあれこれ考え続けた。

   三

 何事も継続していると、研ぎ澄まされていくものである。邪な考えすらもその例外ではない。九月十三日の朝、とある決心を固めた盛遠は、袈裟の母親であり自身にとっては伯母である衣川の所へ乗り込んで行くと、あいさつもろくにせず、バッと刀を抜いて、問答無用で伯母の首をつかまえて、腹に刀を押し当ててズブリと突き刺そうとした。


 衣川さんは突然のことに混乱しながらも、よくよく見れば甥(おい)の遠(えん)藤(どう)盛遠だ。
「まあ! 盛遠くん! そもそもあなたは私にとって甥、私はあなたにとって伯母ですよ。そんな間柄で、恨み辛みや誠実でない偽りの心などあろうはずがございません。とりわけ、あなたの母が亡くなってからは、たった独りになってしまったあなたをふびんに思って、実の息子や孫のようにかわいがりましたよ。父や母のように頼って下さいよ。どこの誰がどんな悪質なデマを吹き込めば、こんな軽薄な真似をするのでしょう。私にはまったく、こんなことをされる心当たりがありません。少し落着いて、何をそんなに怨んでおられるのか話して下さい。疑いを晴らしますから」と手をすりあわせて泣く。


 盛遠は慈悲の心もなく、まばたきもせず目をカッと見開いて、
「伯母だとしても俺を殺そうとしなさるカタキであれば、逃がしません。渡邊組のおきてとして、チラッとでも敵を認めたならば見過ごしはしない。おらッ、今こそぶち殺したる」と言って、腹部に刀を冷やかに押しつけた。


 衣川さんは動転してわなわな震えながら言う。
「誰が吹き込んだんです? 私は未亡人で、夫はおりません。あなたに対し恨みなどありません。思いも寄らぬことをおっしゃるんですね。これは……どういうことなんですか」


「ふン、人から聞いたんじゃない。袈裟御前(ごぜん)【*御前は貴族の妻に対する敬称】を妻にすると前々から申し上げていたのをお聞きにならず、渡なんかのところへやったから、この三年間ずっと恋に彷徨(さまよ)って、この身はセミの抜け殻のようになりましたよ。命は草の上の露のように消え果てようとしている。恋によって人が死ぬというのであれば、これこそ伯母が甥を殺(あや)めるに等しい。生き恥をさらしてあれこれ考えるのも苦しいから、カタキと一緒に死んでやると思ったのだ」


 衣川さんは命が惜しくて堪らずに、
「いろいろな方がそうおっしゃるのをたしかに聞きましたが、大した事とも思わず、貧しい身ですから、どなたでも良かろうと、特にえり好みせずにいたのを、渡さんが奪うように娶(めと)ったのでどうしようもなかったのです。あなたにこれほどの気持があるんでしたら、たやすいことです。刀をしまって下さい。今晩あとまに会わせますから」と言った。


 盛遠は、いいかげんな口約束ではまずいと思って、
「嘘つき野郎の渡の所へも約束を違えぬよう、ちゃんと筋を通させろよ」などとよくよく念を押してから刀を納めると、「今(こ)宵(よい)また来る」といって帰って行った。


 衣川伯母さんは泣きながら、どうしようかと悲嘆に暮れました。――今のような盛遠の様子では、言うことを聞かなければ間違いなく大ごとになる。かといってあとまに会わせてしまえば、渡さんがどんなに怨むことだろう……、そう思ったけれど、考えあぐねて、娘のもとへ次のような手紙を届けさせた。
 ――最近、ちょっとかぜ気味です。ただ寝込むほどのことでもないですし、周りに言うと大げさですから、一人でいらして下さい。お話ししたい事があります。父上を亡くしたやもめの身には、とても頼りないことなのです。本当に、きっと一人でいらっしゃって下さい――。

   四

 袈裟は手紙を取り上げて読み、心配になって、お供の女児を一人連れて、ちょっとその辺を散歩でもするように装って、母の所へ向かった。


 衣川はしみじみと娘の顔を見ると、はらはらと泣いた。そうして小物入れから小刀を取り出すと、
「これで私を殺してちょうだい」と言って手渡せば、娘は大いに取り乱して、これは何事であろうか、母は気が変になったのかしらと、顔を赤らめて居た。


「今朝、盛遠が来てね――」と衣川は先ほどあったことを娘に語り、続けて、
「――これはどう考えても、盛遠の心に降りしきる雨が上がらないことには、私の身の危険がぬぐい去られるとは、思えません。だからといって、渡さんの心を傷つけることもできず……。そなたならば分って下さるでしょう。武者の手にかかって悲惨な最期を遂げるくらいなら、そなた、私を殺して下さい」と言ってさめざめと泣く。


 袈裟はこれを聞いて、こんなことは初めてだわ。どうしたら良いのかしら。悲しくて堪らない、と深く歎いたけれど、つくづくこれを案じて、
「親のためにはしっかり孝行するのが世の習いです。自分が身代わりになりましょう。縁結びの神さまも、哀れなことよのう、とお思いになって下さるでしょう」と勇ましく言ってみたけれども、渡のことを思い浮かべて涙をこぼした。

   五

 日もすでに暮れて、盛遠は独りニヤニヤしながら髪をなでつけ、ひげを整え、めかし込んで早くもやって来ると、袈裟さんを抱きしめてたっぷりと思いを遂げた。


 夜も次第に更けていき、やがて空が白々としてきたら鶏の声がもう聞こえて、女は暇(いとま)を請うた。盛遠は、
「結婚しないのならば一緒に居ないのが当然としても、武家の男が十分に関係を深めていない女を実家に帰らせて、誰が恋人通しの関係だと認めるというんだ。遠距離恋愛など取るに足らないものだ。どんな目に合うのだとしても、暇をくれなどと申すでない。今日この日から末永く交わるのだ。これさえあれば俺は何事も恐れない」と言って太刀を抜いて傍らに突き立てた。


「――今は乱世の時代だ。覚悟しての事だ。一緒になれぬなら命を賭(と)してしのぎを削るのみ。おまえのためなら命も惜しくない。お前の不運、盛遠の不運、そして渡の不運――三つの不運が一度に重なった、これは前世からの因縁だろう」と言って、覚悟の様子をありありと目に浮かべる。


 袈裟は考え込んだ。――暇を請うのは女の習いであるのに、そのことをよく知らないで、このように申すのはぶしつけだわ。心の底からこの先主人として身を任せられない――。
「敢えて申し上げますが、何事もこの世のことではないとおっしゃるからには、いかにも前世の契りなのでしょう。ならば、我が本心をお教えしましょう。
 渡に慣れ親しんで今年で三年になりますけれど、折に付けて非(ひ)道(ど)いことばかりあるので、何処か遠い処へ逃げ出したいと切に思うことが度々あります。それでも、母の言いつけだからと我慢して今迄居るんです。だから本当に浅からぬ思いがおありならば、もうひと思いに左衛門尉を殺して下さい。お互いに心が晴れ晴れします。早速、手はずを整えましょう」


 盛遠は悦びまくった。
「計画はどうするんだ」
「私が家に帰って、左衛門尉の髪を洗わせて、酒で酔わせて奥の部屋へ誘います。寝室で眠ったところで濡れた髪を探って殺して下さい」
 盛遠は悦んで襲撃の準備に取り掛かった。

   六

 盛遠の許しを得て家に帰った袈裟さんは、晩酌の席を用意して渡を呼んだ。
「母が風邪ぎみだからちょっと来てくれというので、昨日様子を見に参ってきたんですが、今朝方より良くなりました。快気祝いに私たちも飲んで楽しく騒ぎましょう」といって、自分でも酒を飲み、夫にもどんどん勧めて飲ませた。


 元来願っていた酒盛りだったので、左衛門尉は前後不覚になるほど飲んで酔いつぶれた。そこで彼女は夫を御帳台【*貴人の座所・寝所となる屋内施設。床より一段高い四角形のテントのようなもの】の奥に寝かせて、自分は髪を濡らし、頭上に束ねて、烏帽子を枕元に置くと、御帳台の端に臥せた。
 今か今かと待つところへ夜(よ)も深まり、ついに盛遠は現れた。袈裟から聞き出した邸(やしき)の間取りを頼りに、寝所へひそやかに近づくと、ぬれた髪をさぐり当て、ひと息に首を斬った。それを小袖【*貴族の内衣】に包むと、そっと現場を後にした。

 家に戻った盛遠は包みを置いてひと息つくと、その場に寝転がって考えた。
 ――ああ、ついにわざわいを、差し障りなく、ビビることもなく、鎮めることができた。嬉しいことだ。もうずっと何年も、毎日のようにいろんな神社に参拝して祈って来た甲斐(かい)があって、宿願の叶った嬉しさよ。昔も今もカミの御(ご)利(り)益(やく)は健在だ。春日(かすが)神社、石(いわ)清(し)水(みず)の八(はち)幡(まん)宮(ぐう)、賀(か)茂(も)の下(しも)社(しゃ)と上(かみ)社(しゃ)、松尾明神(まつおのみょうじん)、平野神社、それから伏(ふし)見(み)の稲(いな)荷(り)に祇(ぎ)園(おん)社、【*いずれも京都にある有名な神社】みな御礼参りをしないとな――、と心底悦んだ。


 そこへ郎(ろう)等(とう)(従者)が一人駆け込んできて、
「盛遠さま、不思議な事件の知らせがありました。今晩、渡左衛門殿の女房の御首(おんくび)をお切りなされて持ち去られるということがあったそうで……、いったい何者の仕業でしょうか……。
 左衛門殿は口惜しき事だといって、門を閉じて臥せっておられるとのことです。これでは弔(ちょう)問(もん)も難しいかと存じますが、如(いか)何(が)なさいますか」と告げた。


 ああ、何と言うことか。まさか袈裟が渡の身代わりになったというのか――、そう思って、盛遠が包みをほどいて見れば、袈裟御前の首だった・・・。
 ひと目見るなり倒れ伏し、声も惜しまず叫び続けた。
 三年(みとせ)の恋も淡彩の夢であったか。一夜のまぐわいも泡沫(うたかた)の夢であったか。
 溢れる涙にのみ込まれ、身を置く場所もないほどだった。

   七

 白日は瞬く間に落日となり、斜陽もじき暮れた。
 夕闇に愛しい袈裟の首が溶け込んでしまうと、盛遠は身を起した。
 つくづくこの世のすべて(諸法)の永遠でないこと(無常)を観じた。


 命ある者は必ず死ぬ。さればこそ過去・現在・未来の三つの世(三(さん)世(ぜ))の仏も炎が潰(つい)えると煙を出すのだろう。【*命と炎、死=魂と煙の対比】
 巡り逢った者はまた別れる。だからこそ天界の諸神もその寿命の翳(かげ)りに伴って雲の中を沈んでいくのを悲しむのだろう。【*愛別離苦。若さ(神通力)の減退でだんだん飛べなくなるイメージ】
 ましてや下界の我らは言うまでもない。
 男女が結ばれる前にも後にも、怨みが凝(こご)るは世の習い。人の性(さが)。それなのに俺は今、あれほどあった怨みの念が、この両の眼(まなこ)からきれいにすすぎ流されて、微塵も無い。
 ならばこれは、まさに仏道へ導いてくれる善き友(善知識)の断行ではないか。
 そうだ。歎くようなことではないのだ。
 名残の尽きない別れとなった妻だからこそ、仏道を求める心持になったというような話は多い。あとま、お前もそうなんだろう?
 此(こ)度(たび)のことは、きっと神道の神々と仏・法・僧(三(さん)宝(ぼう))からの慈悲の御利益だ。そうに違いない。――


 盛遠は灯(あか)りを点(とも)すと、袈裟に語りかけながら丁寧に洗ってやった。話はいつまでも尽きなかった。

   八

 旭(きょく)日(じつ)が盛遠の室(へや)に射し、やがて日輪に二人が包まれると、盛遠は思いを切り、支度を済ませて、いつもよりも殊勝な態度で郎等を多く引き連れて、渡の家に向かった。


 源家は門戸を閉じきって、しんと静まりかえっていた。
 盛遠は門を叩いて参上を告げた。すると、閉じた戸の向こうから、
「お越し下さったことには感謝申し上げますが、とても世間に顔向けのできる状況ではございませんので、しばらくは誰ともお会いにならないとの事でございます。お帰り下さい」という従者らしき者の声がした。


 盛遠はすかさず、
「女房の御首をお斬りになった奴めを聞き出して、そこへ乗り込んで捕まえてきたから、参るのが遅くなったのです。早く門を開けて下さい」と言うと、しばらく待たされてから、嬉しそうに門が開けられ、招き入れられた。


 左衛門尉は首のないあとまの遺体の傍で悲しみに暮れていた。
 盛遠は走り寄って、
「御敵めを連行して参りました。ですが、先づは袈裟殿の御首を御覧になられるがよい」といって、懐より袈裟御前の首を取出して亡骸(なきがら)に添えた。


 それからおもむろに刀を抜くと、左衛門尉に握らせて、
「すべてこの盛遠めの為業(しわざ)でござる。そなたの頸を掻き切るつもりの所業が、このような事になってしまった。あまりにもつらく情けないので自害しようと思ったが、どうせならばそなたの手に懸って死ぬのが良かろう。さだめて望みのないことと心中お察し致す。さ、早く切るが良い」といって、手を放すと、渡が頸を切りやすいように前傾になり頭を垂れた。


 美しく粧われた袈裟の顔と、泣きはらした盛遠の瞳を凝(じっ)と観ていた渡は、刀を静かに置いた。
「刀は我も持つ身、人の刀など使わぬ。
 だが、これほど思い詰めている人の首を切るには及ばない。
 死んで然(しか)るべきは、酒に酔いみすみす妻を死なせてしまった、武士にあるまじき拙者の方だ。
 目覚めてからずっとこの事を考えていた。この女房は観(かん)世(ぜ)音(おん)菩薩が優婆夷(うばい)(女性信者)の姿に変じて、我等の求道心(ぐどうしん)を引き出してくれたのではないかと。ならばこれも当然の、いや、むしろ運命とも言いうる善き導き手(善知識)に相違なかろう。
 ならば、そなたも我も、亡き女(ひと)の後世(ごせ)――生まれ変わる世界の良き事を願って冥(めい)福(ふく)を祈り、成仏させることこそ理想とすべきではないか。現世で執着の心に囚われて、来世の苦難を招く事はお互いにつまらない事だ。自害も無意味だ。殺すべきは人生に酔い続けていた武士としての拙者、在俗の源渡だ」
 そう言って渡は、自分の刀を抜くと、束ねた髪の根元(髻(もとどり))を切った。


 盛遠はこれを見て、渡を七度礼拝(らいはい)し、同じく髪を切った。

 後に、この一部始終を見ていた男女のうち、三十人ほどが出家したという。袈裟さんの母である衣川伯母さんも尼に成って、仏道に入ったが、行き場のない恩愛の悲しみだけは、いつ晴れるとも知れなかった。

   九

 衣川さんが小物入れを開けると、そこにあとまの遺書があった。


 ――女は罪深いと言いますが、私のために大勢の人が死ぬくらいなら私が死にましょう。母上が独りになってしまうことが心残りです。これも定めと言いながら、母上に先立つことは悲しいですね。どうか心して後世の弔(とむら)いをお願い致します。仏に成りましたら、母上も渡さんも必ず迎えに参ります。
 もっと他にも言っておきたいことがあるんだけどね、お母さん、泪(なみだ)が出て、手紙がよく見えないの。――

  露深き浅茅(あさぢ)が原に迷ふ(う)身のいとゞ(ど)暗路(やみぢ)に入(い)るぞ悲しき
(露深い荒れ果てた野原で彷徨(さまよ)うこの身は、悲しいけれどいよいよ暗い道に入っていきます)

 辞(じ)世(せい)の句を読むに及んで、もう泪があふれ出し、張り裂けるような胸の苦しさに嗚(お)咽(えつ)した。


 ああ、どうしてこんな事になったのだろう。
 私の様な年寄が独り残ってどうしろというのですか……。
 昨日が最期だと分っていれば、あなたのお顔を飽きるまで見ておいたものを……。
 衣川は涙をこぼしながらも筆を取ると、次のような返歌を娘の手紙に書き添えた。

  闇(やみ)路(ぢ)にも共に迷は(わ)で蓬生(よもぎふ)に独り露(つゆ)けき身をいかにせん
(闇のような道を一緒に歩いて行くつもりだったのに、雑草の茂る荒地にたった独りになって、この老い先短い身でどうしたらいいんでしょう)

   十

 その後、衣川さんは尼になり、祈(き)願(がん)のため四(し)天(てん)王(のう)寺(じ)に長く留まって、本(ほん)尊(ぞん)の救世(ぐぜ)観音と聖徳太子のお墓へ――もう一刻も速やかに浄土へ、亡くなったあとまの居るところへお導き下さい。仏の身と成って、再び巡り逢いたいのです――、と祈りを捧げ続けた。
 すると、翌年の十月八日に、享(きょう)年(ねん)四十五才で念願の往(おう)生(じょう)を遂(と)げた。

 左衛門尉渡は、僧侶を招いて髪を剃り、悪を断ち・善を持(たも)ち・人々を救済するという三つの戒め(三聚浄戒(さんしゅじょうかい))を破らぬ事を誓って、世俗の名前である渡という文字を用いて、渡(と)阿(あ)弥(み)陀(だ)仏(ぶつ)という出家名を名乗った。また一説には、生と死を繰り返す輪(りん)廻(ね)の苦しみに満ちた海を渡って、サトリの彼(ひ)岸(がん)にたどり着くことをこころざすという意味があるとも言う。

 遠藤盛遠も出家して、在俗の時の名である盛遠から盛の字をとって、盛(じょう)阿弥陀仏と名乗った。そうして、亡くなった袈裟御前のために墓を築いて遺骨を納め、三年間片時も怠(おこた)ることなく彼女の菩(ぼ)提(だい)を弔った(冥福を祈った)。
 そのためか、彼女の墓の上に蓮華が開いて、その蓮華の上にあとまが穏やかに座っているという夢を見て、涙を抑えることができなかったそうである。

 そののち、彼は日本国内を修行して回り、仏の教えに熱心に取り組んだ。やがて学識を深めると、名を改めて、文覺(もんがく)と称した。
 知的で能力も高く、その名は広く知られた。たとえ自分の祈(き)祷(とう)が成功した時であっても、かつて愛した袈裟のおかげで今の自分があることを思い出して、いつも衣の袖を泪で濡らした。


 慰(なぐさ)めになるかと思って彼女の面(おも)影(かげ)を描いて、本尊と伴に頸にかけ、恋しい時にはこれを見て、悲しいときにはこれに祈った。


 それだけは、名僧と言われた彼であっても、哀(あわ)れ、やむにやまれぬことであった。

(令和二年五月)

 

 

 

 


   主要参考文献
松村明・山口明穂・和田利政編『古語辞典』第十版増補版/二〇一五年/旺文社
中村元・福永光司・田村芳朗・今野達・末木文美士編『岩波仏教辞典』第二版/二〇〇二年/岩波書店
松村明編『大辞林』一九八八年/三省堂
石村貞吉『有職故実(下)』一九八七年/講談社
『精選版 日本国語大辞典』―「あたくね」(https://kotobank.jp/word/あたくね-2002245)
『精選版 日本国語大辞典』―「退没」(https://kotobank.jp/word/退没-558539)


   解説(『大辞林』七九七頁より)
げんぺいじょうすいき【源平盛衰記】軍記物。四八巻。作者未詳。鎌倉後期以降に成立。「平家物語」の異本の一種。一般に流布した「平家物語」に比べて歴史を精密に再現しようとする傾向が強く、そのため文体も、やや流麗さを欠く。ただし謡曲・浄瑠璃など後世の文芸への影響は大きい。げんぺいせいすいき。盛衰記。

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